筋トレがイリシンと認知機能に与える影響
週3回・12週間の高強度筋力トレーニングを行った65歳以上の健康な高齢者において、言語流暢性などの認知機能が改善した一方で、「運動で脳が良くなるカギ」として注目されるホルモン「イリシン」の長期的な基礎濃度は上昇しないことが示されました。また、トレーニングを重ねるにつれて、運動後のイリシン急上昇反応が弱まっていくという興味深い現象も確認されました。
筋トレとイリシンの研究概要
本研究は、オーストラリアの研究チームによって実施され、国際的なスポーツ科学誌『Journal of Strength and Conditioning Research』に掲載されました。テーマは、筋力トレーニングが高齢者のイリシン(irisin)濃度と認知機能に与える影響の解明です。
イリシンとは、主に筋肉から分泌されるマイオカイン(筋肉由来のホルモン様物質)の一種で、脳の神経成長因子(BDNF)の産生を促し、記憶や学習に関わる脳領域を保護する働きがあると考えられています。近年、「運動が認知機能を高めるメカニズム」としてイリシンへの注目が高まっており、特に認知症予防の観点から研究が進んでいます。
筋トレとイリシンの研究方法
65歳以上の健康な成人30名が参加し、そのうち24名が12週間の漸進的筋力トレーニングプログラムを完了しました。残りの6名は通常の生活を続ける対照群として参加しました。
トレーニングの内容は以下の通りです。
- 実施頻度:週3回
- 強度:1回最大反復重量(1RM)の80%という高強度設定
- 期間:12週間
測定項目は、トレーニング前後の体組成・認知機能テスト・血中イリシン濃度の基礎値に加え、トレーニング開始直前(第1回目)と終了直前(最終回)の運動セッションにおける、運動前・運動直後・30分後・60分後のイリシン濃度の時系列変化でした。認知機能については、言語流暢性や記憶力などを評価する複数のテストが用いられました。
筋トレとイリシンの研究結果
12週間のトレーニングを通じて得られた主な結果は以下の通りです。
- 基礎イリシン濃度は上昇しなかった:12週間の継続的な筋力トレーニングを行っても、安静時の血中イリシン基礎濃度は増加しませんでした。
- 急性イリシン反応はトレーニング初期にのみ確認:1回の筋力トレーニングセッション後に見られるイリシンの急激な上昇(平均1.8 ng/ml)は、12週間のトレーニング開始前の初回セッション後にのみ統計的に有意(p<0.001)に認められました。最終セッション後には、この急性上昇反応が減衰していました。
- 言語流暢性が改善:認知機能テストでは、言語流暢性スコアが平均1.0ポイント有意に向上しました(p=0.007)。
- 記憶力の変化とイリシンの関連:記憶力の変化量は、トレーニング前の基礎イリシン濃度およびトレーニング後のピークイリシン濃度と有意な相関(r=0.423、p<0.040)を示しました。
筋トレとイリシンの実践への示唆
この研究結果は、トレーニング愛好者や高齢者の健康維持を考えるうえで、いくつかの重要な点を示唆しています。
まず、筋トレによる脳への好影響は、長期的なホルモン濃度の底上げではなく、「毎回の運動による一時的なイリシン分泌」の積み重ねによってもたらされる可能性があります。つまり、継続して運動を習慣化することの重要性が改めて示されました。
一方で懸念されるのは、トレーニングが進むにつれてイリシンの急性反応が弱まる「適応現象」です。これは、同じ刺激に身体が慣れることで、イリシン分泌への刺激としての効果が薄れることを意味しており、脳への好影響も徐々に減退する可能性を示唆しています。この点から、トレーニング内容の定期的な変化(種目の変更・強度の更新・新しい動作パターンの導入)が、イリシン分泌の維持と認知機能への恩恵を持続させるうえで有効かもしれません。
また、記憶力の改善がイリシン濃度と相関していたことは、将来的に認知機能低下の予防戦略としてイリシンを標的にしたアプローチが有望である可能性を示しています。高齢になっても質の高い筋力トレーニングを続けることが、身体だけでなく脳の健康維持にも貢献すると言えるでしょう。





























